わたしのブログが書きはじめて1年たった日
大阪で彼の幼馴染の本のトークショーが行われた
わたしと彼女が出会った日は
彼とはじめてデートをした日で
彼女が2店目の洋服のお店をオープンした日だった
突然お店がオープンしたお祝いに行くからといわれ
場所は原宿で
そのうえ彼が友達と紹介した幼馴染は
とても華奢な美人で
いまで言えばカエラちゃんのようなはなやかな女の人だったから
気後れしてしまったわたしを今でも覚えている
彼女は関西弁で話す
そして彼の名前をイントネーションの違う呼び方で
ほんの少しハスキーな声でかわいらしく呼んだ
わたしは彼女の作る服が好きだった
わたしには絶対着こなせない服がお店に並んでいるが
お店に行くたび必ず2着は一生自分の近くにいてくれる服が存在した
そしてわたしと彼はその服を買った
彼が唯一わたしが買ってよろこぶ服は彼女のデザインした服だった
一着だけ彼女の作った服でなくしてしまって後悔して泣いた服がある
わたしと彼がフランスに行ったとき
モンマルトルのホテルでダブルブッキングされて
違うホテルに向かう途中のタクシーに落としてしまったカーディガン
あのとき駅から重いスーツケースを引きずり坂を上り
やっとついたホテルで泊まれないと説明を受けた
もういやだと、ぐったりとしている彼にコーラを頼み
わたしは大丈夫だからと彼を励ました
ホテルの責任者がわたしにフランス語訛りの英語で言っていた筈の
オペラ座の近くのホテルに向かうはずのタクシーが
延々と郊外に向かう
着いたホテルのエレベーターにはスーツケースが2つのらず
部屋はスーツケースが開けられないくらい狭くて
ホテルの場所は
やっと見つけたガイドブックのメトロのMAPにものってなかった
そのときわたしは気付いた
呆然としている彼にいう
わたしのさっき着ていたカーディガンどこ?
小さな小さな部屋でわたし達はスーツケースをかきまぜ
むかつくモンマルトルのホテルにも電話をかけ
タクシー会社の電話番号を聞こうとした努力もむなしく
あの子がなくなったことを自覚しなければならなくなったとき
泣き面に蜂とはこういうことだとわたしは彼と悟った
彼は泣くわたしに日本に帰ったらもう一度お店で同じのを買おうといってくれた
けれどその服は日本に帰ったときには売り切れていて
いまもわたしの手元にはない
photo by him2007
わたしは彼女のことを才能に恵まれた強い人だと思っていた
マイペースでまわりの空気に振り回されたりしないタイプの人間だと
彼がわたしにいうコトバがある
ゆうちゃんは僕の友達の中でいちばん弱そうに見えて強い人間だと
わたしはその意味がずっとわからずにいた
きっと自分しか見えていなかったからだろう
いまではこのコトバがほんの少しわかるようになった
そしてわたしは彼女を純粋に尊敬するようになった
わたしと彼女は正反対の形で生きているのかもしれない
ただトークショーに行き彼女の話すコトバのほんのちょっとのかけらと
彼の本にサインしたコトバを見て
わたしは帰りのクルマの中で泣いた
”じぶん一番古いおさななじみやで”
こんなコトバをたぶんお互いにかけ続けられる友達がいる彼は強い
そして20歳の頃の彼を知るたくさんの友人との思い出が
彼のいまの自信と友達を待つチカラになっているのだろうと感じた
彼女の突き進むチカラをわたしは応援したいと思う
そしてあこがれる
いつの日かまた服を作る日が来てほしいと願う
彼も一緒に考えたというお店の名前で
”QFD''
そして彼女の文章を一度読んでみてください
元気になれるから
http://blog.qfdshop.com/